終活と向き合う
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今を大切にする終活のすすめ

shoei
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  • 親孝行をしたいと思いながらも、日々の忙しさで後回しにしてしまう
  • 「いつか話そう」と思っているうちに、きちんと気持ちを伝える機会を逃してしまう
  • 延命治療や立派なお葬式をしても、「もっとできることがあったのでは」と後悔する

こうした声を、僧侶として私はお寺で何度も耳にしてきました。
私たちは「時間ができたら」「そのうち」と思いながら、つい大切なことを先送りしてしまいます。
けれど、人生は「いつか」ではなく「いま」しかありません。

これまで僧侶として、多くの方の最期に立ち会い、家族が悔いや悲しみと向き合う姿を見届けてきました。
また、私自身も終活を通じて自分の価値観を見直し、家族との時間や日々の過ごし方を大きく変えることができました。

終活とは「死の準備」ではなく、いまをよりよく生きるための価値観の棚卸しです。
ほんの小さな行動や言葉が、後悔のない関係と心の安心につながっていきます。

この記事で分かること
  • 仏教の「諸行無常」の教えから学ぶ、いまを大切にする理由
  • 延命治療や豪華な葬儀の前に、本当にできる大切なこと
  • 終活を通じて、自分や家族の価値観を整理する方法

この記事を通じてお伝えしたいのは、終活とは最期の準備ではなく今日を丁寧に生きる方法だということです。

もしあなたが「親孝行、まだできていないかも」と感じているなら、この記事が後悔のない生き方への第一歩になるはずです。

今を大切にすべき時間とは

「忙しいから、また今度でいいかな」──私たちはそう思いがちです。けれども、その今度は思った以上にやってこないことが多いことがほとんどです。

親孝行に特別なことは必要ありません。

  • 電話で「元気?」と声をかける
  • 食卓で「ありがとう」と伝える
  • ほんの数分の雑談を楽しむ

こうした小さな行為こそが、親にとってかけがえのない思い出になります。

人は「もっと大きなことをしてあげないと」と考えてしまいがちですが、実際には、いま隣にいるときにどう関わるかが最大の贈り物です。

そして忘れてはいけないのは、「いつかやろう」はほとんど実現しないということ。だからこそ「今日できる小さな一歩」を積み重ねていくことが、後悔しない関係をつくる第一歩になります。

延命治療や豪華な葬儀よりも大切なこと

親が病気で倒れたとき、多くのご家族が「せめて延命を」「せめて立派なお葬式を」と願います。その気持ちは深い愛情の現れです。

けれども、いざその瞬間を迎えた家族からは「もっとできることがあったのでは」と後悔の声を聞くことも少なくありません。

考えてみてください。

  • 本人の思いをあらかじめ聞いておくこと
  • まだ元気なうちに一緒にご飯を食べること
  • 「ありがとう」と心から伝えること

これらは派手さこそありませんが、実は本当の意味での延命であり、供養につながる行為なのです。

たとえば、私の知人にはこんな経験をされた方がいました。
お母様が病気で急激に体重を落とし、延命治療を検討しなければならない状況になったとき、彼は「母は延命を望まないだろう」と自然に判断できたそうです。なぜなら、日々の会話や母親の生き方から、その価値観を感じ取っていたからです。

幸いお母様は回復されましたが、彼は「意思を知っていたからこそ後悔しなかった」と話していました。

このように、日常の中で価値観を共有しておくことが、家族の迷いや後悔を減らす力になるのです。

終活は「いまを生きる準備」である

「終活」と聞くと、「まだ自分には早い」と思う方も多いでしょう。ですが本来の終活は「死の準備」ではありません。自分らしい生き方を見つける準備なのです。

終活を通じて考えられることは、たとえば次のようなものです。

  • どんな医療を望むのか
  • どんなお葬式にしてほしいのか
  • 残りの人生で家族とどう過ごしたいのか

こうしたことを整理し、話し合うことによって、家族の気持ちや自分の価値観が浮かび上がってきます。

私自身も、終活を意識したことで「自分はどんなふうに生きたいのか?」という問いに正面から向き合うようになりました。その結果、日常の過ごし方や家族との関わり方が大きく変わり、今日をより丁寧に生きようと思えるようになったのです。

つまり終活とは、人生の棚卸しであり、「これからをより良く生きるための道しるべ」なのです。

諸行無常を生活視点で訳す

仏教には「諸行無常」という言葉があります。
これは「すべてのものは常に変わり続け、同じままではいられない」という意味です。

  • 時間は止まらない
  • 身体も人間関係も変化していく
  • 「当たり前」は、実は当たり前ではなく常に移ろっていく

だからこそ「また明日」「また今度」と思っているうちに、すれ違ったまま別れを迎えることもあります。

今日という日を、丁寧に生きること。
それが、自分にとっても家族にとっても、最大の安心であり、後悔のない生き方につながります。

まとめ

人の最期を見つめることは、実は「どう生きるか」を見つめることでもあります。

延命治療や豪華なお葬式は、家族の深い愛情の表れです。しかし、それだけでは心の奥に「もっとできたことがあったのでは」という後悔が残ってしまうこともあります。

だからこそ大切なのは──
「今日、この瞬間をどう過ごすか」 です。

・電話一本で「元気?」と声をかけること
・食卓で「ありがとう」と伝えること
・親や家族の価値観を聞いてみること

そんな小さな積み重ねが、後悔のない生き方を形づくっていきます。

仏教の言葉に「諸行無常」があります。時間も、身体も、人間関係も、同じままではいられません。だからこそ、今を大切に生きる意味があります。

終活とは、死の準備ではなく いまを生きる準備 です。
どうか今日という日を、大切な人との関係を、ほんの少し立ち止まって見つめてみてください。

そして、できることを一つだけ始めてみましょう。

ABOUT ME
しょうえい
しょうえい
僧侶
現役僧侶として、葬儀・法事・供養に携わる 仏教や暮らしの視点から、終活やお葬式の不安をやさしく解説しています。 1児の父。
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